お説法のはなし 祖母の葬儀で説かれたこと

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お説法のはなし

皆様、ごきげんよう。曼珠沙華ことリリィ( @iroiro_w_168 )です。

前置き

これは私の祖母が死去した時の話です。
我が家は曹洞宗の檀家ですが、私自身は信者というわけではありません。
かといって信仰心が全くないわけでもありません。

価値観の問題とはいえ、人としてどうかしている文面があります。

闘病生活が長かった祖母

脳梗塞、胃がん、認知症と介護生活だった我が家。
脳梗塞は早めの処置で身体機能に多少麻痺はあったものの、一人で歩くこともできたしお手洗いも行けていました。
胃がんも手術したら転移もなく完治。

長野県は長寿県としてしばしば話題になります。
今思うとそんな県出身だから、こんなに病気しても平気で生きていたのか?と思いました。

祖母の死を1番望んでいたのは間違いなく私でした。
通夜でも葬式でも泣きませんでしたし、むしろニコニコ。
親戚(気さくで仲が良い)の人に「まぁあの人だしね!うちの母親も、娘たちには似たような顔されてるよ」と言われました。
この親戚のお母様と祖母は性格がキツくて――孫たちには煙たがられているのです。

祖母は口うるさく、大人と同じ行動を求めてくることが多かった。
母親に連れられて実家に帰ると、近所に住む余所の子と比べてばかりでうんざりでした。
母親と同じ高圧的な態度で遊びにくると2倍嫌な思いをするのです。
その態度は祖母にも伝わっていたらしく、遺品整理で出てきた日記帳に私のことも書かれていました。

不登校や精神病で寝込んでも母親とは向き合う時間もなく、あるとき衝突した母親がこう言いました。
「先が短い人をみてあげないと」
今でも忘れません。

自分の親だからというのは承知しています。
人は「先が短いから」と笑いながらも、「先の長い人」を後回しにする。
生活環境が一向に改善せず、後回しにされた人は何年分も失う――これが現実です。
祖母が死去してから関係が改善し始めたのも事実です。

退屈と思っていた説法がガラリと変わった

葬式や四十九日法要でお説法はあるわけで、正直つまらない話だと思っていました。
仏教に興味がなかっただけかもしれませんがこれがなかなか奥が深い。

この人に説かれるまでこの手の話はつまらなくて飽き飽きしていたのです。
自分でもこんなに堅苦しい話をじっくりと聞ける人間だとは思っていませんでした。

この宗派と和尚の仏教的にみた生は”苦しい”ことである――そうです。
生きることは、病気になるし、その病気で痛くて辛い。
家族のこと、親戚のこと、様々な悩みもある。だから苦しい。

死というものは、「それら」から”解き放たれる”こと――らしい。
生きている間にできる、痛み、苦しみ、しがらみの全てから開放される。

自殺も生きている間に何かしてあげられたらよかっただろう。
苦しさから自ら命を断つことであったとしても、誰も責められない。
喜ばしくはないけれど、苦しみから解き放たれることで少なくとも”その人は”救われたのではないのか。

「自殺はよくない」と普通の人は口を酸っぱくして言われます。
これを聞いて「究極の選択ではあるが、許される」のだと思いました。

自殺にここまで寛大な人は滅多にいないと思います。
医師に聞いても適当な返答しかもらえないし「親にもらった命」「他に貧しい人もいる」「他の人が悲しい」とか、そういう話ではないのです。
殺人が駄目な理由をなんとなく説明できるのに、私に自ら命を絶つことが駄目な理由をなんとなくでも私に説明してくれた人は今のところいません。

海外で認められている条件付きの安楽死はどうなってしまうのか。
脳死で生命維持装置を止める決断をした家族はどうなのか。
自分の命だから自分で選択したい。
選択する意識がないからそのままかもしれない。

自殺が悪だという人は、その人の中にある物差しで測っている。
否定だけしている人は、私の祖母のように恨まれていると思う。

曼珠沙華@リリィ

曼珠沙華@リリィ

14歳のとき双極性障害を発病し、その後境界性パーソナリティ障害と合併と診断。現在は寛解中で時折自傷行為や暴れたりはあるものの、以前よりはマシに。三度のメシよりゲーム好き。

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